人間関係のための救急蘇生法 C P R -対立の予防と解決のための7つのステップ

人間関係のための救急蘇生法

-対立の予防と解決のための7つのステップ

付録B 正直に怒りを表現する

 誰でも腹を立てる-それはたやすい。 しかし、適切な人に、適切な程度に、適切な時に、適切な目的で、適切なやり方で-というのは簡単ではない。
                     -アリストテレス

 怒りというのは恐らく適切なやり方で表現するのが最も難しい感情である。 多くの人は怒りを悪い感情だと認識しているし、心痛む思い出をもたらすので、それを避けようとする。 実際には、怒りは自然な感情表現である。しかし、それはもろ刃の剣でもある。適切に用いれば味方になってくれるが、間違った用い方をすれば、非常に破壊的な武器にもなりうる。
 正しく怒りが用いられれば、人との間に一線を画すことができる。

 たとえば、「僕の許可なしで車が使われたので、今、僕はとても怒っているんだ。 僕は足止めを食らって重要な会議に遅れてしまったんだから。全く、むかつくよ」といった具合にである。

 あなたが怒りを声に出していうのを聞いた人は、今後は反発を食らうことなしにあなたを軽視することはできないと思うことだろう。 常にきちんと境界線を引いていれば、あなたを利用する人は減ってくることだろう。 もし、その人があなたと親しい人ならば、あなたが嫌うのはその人自身ではなくてその行動だと言うとよい。 誰かから怒りをぶつけられたら、意識的であれ無意識的であれ、相手はもう自分のことが好きではないんだと思って、恐れを感じるのはよくあることだからである。
 怒りを表せばより大きな対立を招くように思えるが、それを抑えることによって、同様の無礼な行為が繰り返し起きることになり、内なる怒りはどんどん膨らんでいくことになる。 そしてついに溜め込んだ怒りを解き放つ時、それはコントロールのきかない怒りとなって現れる。 この種の感情の放出は、確実に人間関係にダメージを与える。
 一方で、すぐ立腹し、やすやすとそれを口に出してしまう人がいる。 問題なのは、彼らが人を罰したりけなしたりするために、こうした強い感情を吐き出しているのか、それとも、相手を罰する意図はなく、 ただ単に潜在的な感情を放出し、相手との間に境界線を引くために怒りを表出しているのかということである。
 怒りはしばしば自分は正しいんだという感覚を伴って表される。 たとえば、「あなたはとても利己的ね!自分のことしか考えてないじゃない!私なら、あなたが私にしたようなことは、絶対人にしたりはしないわ!」といった具合にである。 あるいは、自分を傷つけた人へ仕返しをしようという復讐心から生まれてくる場合もある。 その場合は、自分の怒りのより深いところに潜んでいる理由に目を向けることが重要である。 怒りは表面的な感情であり、脅威に対してすぐに反応してしまうが、その底には悲しみや恐れが潜んでいる。 相手にあなたのより深い感情とその背後にある理由を伝えることによって、相手はあなたのことをもっと思いやりを持って見てくれることだろう。
 怒りやその他の感情はある経験の副産物であり、それらを表現することは必要不可欠である。 さもなければ、それらは破壊的な形となって現れてしまう。 共通してみられる反応は、怒っている相手に対して、受け身的かまたは攻撃的になるか、または、感情が肉体を蝕み健康を損ねるかである。 燃焼するエンジンのように、副産物であるガスの排気口がなければ、モーターは損傷し恐らく爆発してしまうことだろう。

何をなすべきか

 ある出来事によってあなたの中に怒りが引き起こされる時、ステップ2のコアトレーニングのスキルを用いて、適切な人にできるだけ早く自分のことを話しなさい。 すぐ話すのが最善だが、数時間しないと自分が怒っていることに気づかないこともある。 この場合は、その人に連絡を取って自分の感情をできるだけ早く話しなさい。 もしどのように感じているかを人に言わなかったら、あなたは受け身的かまたは攻撃的にふるまうようになることだろう。 つまり、あなたは否定的な考えに耽り、相手を悪党呼ばわりし(相手の悪口を言い)、冷たい態度を取ることによって相手を懲らしめたり、 もしくは相手が傷つくようなジョークを言って相手に一撃を食らわせたりすることになるだろう。
 自分のことを言う時は、意図をはっきりさせなさい。あなたは、自分の感情を表現し境界線を引くために話そうとしているのである。 人を責めたり、評価をしたり、批判をしてはならない。誰かを罰したり傷つけたりするために自分を表現するのではない。 脅しも最後通告もそこにはない。何の口論も起きることなく、すべてが速やかに要領よく終了するのだ。
 自分の感情を表現する時、あなたの怒りを引き起こした悲しみや恐れという深い感情を人と共有したくなるかもしれない。 たとえば、妻が夫に向かって、「私の怒りの奥底には、深い悲しみや寂しさがあるのよ。 私は、自分が認められ人から望まれているんだということを聞きたいの」といった具合にである。
 自分の弱さを示すことで、あなたの本当の人間らしさを見せることになる。 あなたの怒りの奥にあるより深い真実を見せることが、より親密な関係への出発点となる。 こうした経験は亀裂を生み出すことはなく、むしろ人々を互いに近づけさせる。
 あなたの気持ちを共有する時、犠牲者のように振る舞わないことが大切である。 いつも自分の感情を認め、「これは私の問題であることを知っている。そしてそれが起こってきた時には、それを認めようと努力している」と言いなさい。

 もし、それがあなたの問題であると素直に認めなければ、相手に罪の意識を引き起こすことになる。 この責任逃れは、対立を激化させることだろう。なぜなら、このメッセージは、「あなたが私を無視するので私は傷ついている。 あなたは私を本当には愛していない」という非難として受け取られる可能性があるからである。
 もし、長く続く怒りがあるなら、その怒りの奥底にある悲しみや恐れなど、何かが言葉にされないままになっている可能性が大きい。 相手が防衛的になったり、言い訳を始めたために、自分のことを聞いてもらえなかったと感じたことがもうひとつの理由かもしれない。 もし、そのようなことが起きたなら、聞いてもらえたと感じられなかったと相手に伝えなさい。 もし、その人が相変わらず防衛的であるなら、「私は必要なことは言った。 聞いてもらえている気がしないのでこの話はこれで終わりにする」というようなことを穏やかに言って、さりげなく会話を終えなさい。
 時には相手は攻撃されたように感じて、どのようにアプローチしても敵対心を示すかもしれない。 そのような場合は、「私は、あなたを攻撃したり非難したりするつもりはない。 あなたの意見を聞いて自分が感じたことを言っただけだ。私はあなたに聞いてもらって、わかってもらいたいだけなんだ」と言えばよい。 もし、その人が引き続き敵対的であっても、言い返してはならない。 再び敬意を表しながら、自分が聞いてもらえない気がしたこと、だから、この会話をおしまいにするのだと言いなさい(もうこの論争に関わらないこと心に留めておきなさい)。 相手に、おそらくまた別の機会にこのことを2人で話し合えると言って別れなさい。 そこを去るか、電話を切りなさい。口論や論争に巻き込まれてはならない。 そこからは、生産的なものは何も生まれないだろうから。
 初めて怒りを表現したときには、後ろめたさを覚えるか、少なくとも後悔することはよくあることである。 しかし練習し、何回か怒りを表現してみると、自己評価や自己価値の感覚が高まり、そのような感情は影を潜めていくことだろう。

考えてみるためのいくつかの質問:

私は、いつもどのように自分の怒りを取り扱っているか?
私は、いつも人の怒りに対しどのように反応しているか?
こうした反応は、私や人にどのような影響を与えているのか?
怒りに対処する能力をどこで私は高めることができるのか?
怒りを表現するとき、私は必要以上に激しく表現しているのか?

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