世界の悲惨と誤解の4分の3は、もし私たちがおのれの敵対者に歩み寄り、その立場を理解するならば、消え失せることだろう。 マハトマ・ガンジー
対立の核心
対立は、2つ以上のものの間に、現実のあるいは認識上の違いが存する時に生じる。
それは緊張、不信感、コミュニケーション不足によって特徴づけられる。
ミッシェル・トンプソン、『アイオワ州の農業経営者/債権者のための仲裁マニュアル』
人間関係のための救急蘇生法はシンプルである。それは問題の核心を突くものである。 あなたは、対立の核心に至り着き、人の怒りの底に痛みや悲しみ、恐れを見つけることになる。 怒っているもしくは心を閉ざしている人が深い感情を表現するとき、そして、それらの感情をあなたが受け入れることができるとき、怒り狂った人でさえ穏やかになり始める。 そのとき、より健全な解決への扉が開き始める。
これとは反対に、相手の面目を失わせたり、相手を見下したりせずに、何があなたを怒らせているのかを伝えれば、相手は、あなたの中に自分が共感することのできる面を見つけ出すことになる。
痛みや悲しみ、恐れの感情を抑え込まないことによって、あなたはあなたが人間であることを示すことになり、十中八九、相手はあなたに対してもっと心を開くことになる。
この本の表紙にあるその一部分が隠されたハートは、いかに多くの人が、自分の感情を隠しているかを表している。
それは、人間関係の中で感情的に安全であると感じられないためである。
人は、感情を表現することが冷笑を誘い、自分の感情が拒絶されることを恐れている。
参っているときに拒絶されることは耐え難いので、人は自分の感情を抑え込み、停止させ、防衛的になる。
多くの人が幸せであるよりも正しくあることのほうがよいと思っていると言われる。
人は、かなりの高い頻度で、自分が正しいということを証明するために、そうすることで自分が重要な関係を傷つけていると思えるときでさえ、人に自分の見解を強引に押しつけようとする。
言い争いは、まもなく掟なしの戦いとなる。人はしばしば、敵の弱点にじかに狙いを定めて、感情的な戦いを全面的に繰り広げる。
感情が高まり、相互理解の機会が失われるにつれて、一方が境界線を越えて踏み込み、悲しむべきことを言う。
こうした人を傷つけるような言葉は、信頼が独善のせいで痛手を負うように、その関係に永遠に傷跡を残すかもしれない。
持続可能な平和、調和、結束は、あなたが戦いのドラマと結託するのをやめるときに達成される。
対立は、敵なしにはエスカレートすることはできない。あなたは、独善的な行動や自己弁護をしないことによって、他の人のゲームに参加しないという選択をすることができる。
あなたがそうするとき、あなたは対立のエネルギーを協力のエネルギーに転換することになる。
多くの人は、こうした問題をうまく扱う方法を教えられていないので、対立を避けるかエスカレートさせてしまう。
この本は、対立を扱う方法を変化させるのになくてはならないスキルを提供する。こうした技術は対立を減らし、関係を改善し、つながりの感覚を生み出すことができるようにする。
結局のところあなたは、拒否されたり、仲間外れにされたり、大切にされていないと感じるよりもむしろ、人とつながり、人々の生活の中に所属しているという感覚を持ちたいと願っている。
あなたが人間関係の中で、人とつながっているあるいは大切にされていると感じられないとき、あなたの心はかき乱される。
たくさんの対立の下にある隠れたメッセージは、「私を認めて!私の話を聞いて!私を理解して!なぜなら私は大切だから!」という叫びである。
ひとたび、誰かが真心を込めてあなたを見つめ、あなたの話に耳を傾け、あなたを理解するならば、激しい感情はあなたが求めたつながりを感じるにつれて急速に静まっていく。
<暴力は、聞いてもらえない人々の言葉である。マーティン・ルーサー・キング、JR.>
この営為の基盤は思いやりであり、人間関係を強化することと人を理解することの両方に深く関与している。
これらなくして、相互解決に向かうことはない。
これは人に関わることがいかに難しくとも、正しくあろうとすることや、報復したり避けたりすることをあきらめなければならないということを意味している。
あなたはウィン・ウィンの結果に到達する方法を探さなければならない。そうすることで、あなたと対立関係にある人が自らを安全であると感じ、生産的な対話に参加することができるようになることだろう。
しかしながら、あなたがその気になったとしても、思いやりはあなたの脳裏に浮かぶ最終手段かもしれない。それはなぜなのだろう?
もしあなたがかつてやけどをした経験があるなら、それによって、あなたは火のそばにいるときには防衛的になり身構えるようになる。
同様の自己防衛本能が、過去に感情的にやけどをしたことのある人々にも影響を及ぼす。
多くの人々の対立に対する反応は予測可能なものである。避けるか、譲歩するか、または対立関係にある人々を声高に攻撃するかである。
同意しないことは個人的な攻撃と見なされ、防衛を引き起こす。なぜなら、意識的にせよ無意識的にせよ、人は、相手が自分を傷つけようと躍起になっていると認識するからである。
これらの誤った対処戦略は、エネルギーを枯渇させ、人をストレス状態に置くことは言うまでもなく、人に無力感と孤独感を感じさせる。
対立に効果的に対処しないことによって、人はやがて、冷淡なひねくれ者となり、人に対して敵愾心を抱くようになっていく。
自分を守ることにばかり専心していると、人は、基本的な人権を尊重することをいともたやすく忘れてしまう。
つまり、人を尊重することや、ありのままのその人を受け入れることや、批判せずにその人の意見に耳を傾けることなどである。
尊敬や思いやりを示すことができないのは、自分の古傷を自分で受け入れられていないことが原因であることが多い。
そのため対立が繰り返し循環するように生まれてくるのである。
フェニックスという神話上の鳥は、変化のシンボルであり、炎から舞い上がりながら、再生し、より力強く命に満ち溢れる。
同様に、適切なスキルを持って対立の核心に踏み込むことによって、自分がやけどしたり人をやけどさせたりすることなく、課題に効果的に対処しつつ生まれ変わり、より力強くなり、エネルギーに満ち溢れるようになる。
しかし、もっとも重要なことは、この本の中にある技術を継続的に練習し続けることによって、思いやりを発達させ、より深いレベルで人と結びつき始めるようになるということである。
思いやりは人の弱さを理解する能力のことである。
あなたが心を開いて相手の言葉に耳を傾け、相手の人間性を目の当たりにするとき、その人の行動があなたを怒らせることはほとんどないだろう。
けれども、思いやりの居場所をみつけるためには、他者に到達するための最初の一歩を踏み出す勇気を持たなければならない-たとえどんなにその人が怒っていたとしても、もしくはたとえどんなにあなたが怯えていたとしても。
まさに手は震え、声はかすれていたとしても、それはあなたに勇気がないということを意味しているのではない。
<正しいことをしている、間違ったことをしているという考えを超えていけば、そこには私があなたに会える場所がある。 ルーミー RUMI(訳注:[1207~1273]イランの神秘主義詩人。 セマー(旋舞)で知られるトルコのメウレウィー教団の創始者。名作「精神的マスナビー」は神秘主義の聖典とも評される。>
思いやり、または共感とは、他者の視点や状況から理解し、同感する能力であり、敵としてではなく、人間としてその人と関わる能力のことである。
思いやりを育むということは、どちらかをどちらかより高いまたは低い立場に置くというのではなく、両者を同じレベルに置くことである。
思いやりと理解は互いに手と手を携えて進む。
なぜなら「理解understand」という言葉は、中に(amongst)あるいは真ん中(in the midst of)に立つということを意味しているからである。
あなたが誰かを理解するとき、あなたはその人を傷つけたいとは思わないだろう。なぜならそれはあなたがあなた自身を傷つけることになるからである。
マハトマ・ガンジーは、彼を虐げる人々を敬意をもって遇することによって、また言葉や拳で応戦しないことによって、彼の思いやりを示した。
彼の思いやりと勇気は、マーティン・ルーサー・キングJr.や市民権運動のモデルであった。
夫婦間の不和から職場内での政治的な駆け引きまで、私たちは日常的に対立を目にしているので、思いやりがなければ、
敵対し合う者同士は、自らの利益を追い求め、その結果、状況は権力争い、譲歩または妥協に発展し、それらはすべてさらなる対立を引きおこすことになるのは火を見るよりも明らかである。
思いやりがなければ、対立はコントロール不能の悪循環に陥り、首尾よく解決されないかもしれないし、あるいは妥協した者を不満感の中に置き去りにするような妥協で終わるかもしれない。
しかしながらあなたが感情のレベルで結びついているとき、妥協はめったに問題となることはない。
なぜならあなたは、友情とか愛情とか、品物とか、お金とか、自分が大切にしてきたものを、実際に与えたいと思っているかもしれないからである。
開かれた心があれば、負担に感じることもなく、あるいはまるで譲歩するかのようにあなたは与えるのである。
しかし思いやりは、知性化され得るものではない。それは理解されていると感じられるべきものである。
こうした感情的な結びつきは、他者の苦境に突き動かされたときにのみ生まれる。
もしあなたが心から結びついていると感じられないならば、暴力が起こることになる。
暴力は他者に対する否定的な思いや感情の形をして現れるかもしれない。
暴力は、他者の身体的、精神的、情緒的状態に対して、傷や痛手を与えたり、ダメージを与えたりする。それは分裂や分離を引き起こす。
その結果、傷つけられた人が報復を追い求め、仕返しすることで、さらに多くの暴力を招く。
本物の思いやりが達成されたとき、その人物をあなた自身のようにか弱く、過ちを犯しやすく、そして詰まるところ、一人の価値ある人間として見ることで、あなたの怒りや否定的な思いは開かれた心へと変化する。
あなたはもはやその人を危険な存在や敵として見ることはないだろう。
なぜならあなたはその人が本当にあなた自身と少しも違いはないことを理解しているからである。
スイスの心理学者、カール・ユングは、人生におけるもっとも重大で重要な問題は基本的に解決されることはないということに気付いていた。
もともとの問題がその重要性を失うような、私たちの物の見方を広げるより大きな関心事を発見することによってのみ、私たちはそこから脱却できる。
これは、人々がめったに変化しない理由である。
なぜなら人は、自分の問題よりも重要な何かを生み出すために自分自身を拡大することよりもむしろ、問題を解決することに焦点を当てるからである。
同じように、激しい感情を含む対立は、解決策を見つけることによって解決されるということはない。
私たちは対立のレベルとは対照的な人間性のレベルにおいて他者と関わることの重要性を発見するときにのみ、そこから脱却することができるのである。
思いやりは、それがどのようなものであろうとも共通のビジョンに向けてともに作業する意思を生み出す。
焦点はもはや問題にあるのではなく、新しくつながった人々が一緒に作り出したいと思っているものにある。
この段階では、単に問題を解決することや望まない状況を乗り越えるということよりもはるか遠くに向かっている。
これはよりよい関係をつくり出し、したがって、将来、問題が起こることはほとんどないだろう。
問題解決にだけ焦点を当てることの難点は、問題がうまく処理されたときでさえ、人々の間に生まれたつらい感情がなかなか消えないことである。
この本は、対立の解決についての本であると同様に、人間関係の形成についての本でもある。
人間関係を改善することは、表面的な付き合いの人だけを問題にしている場合には、必要には思われないかもしれないが、
しかしもし、配偶者、親戚、友人、隣人、同僚、上司あるいはその他の親しい人との間にあるわだかまりを扱うとしたならどうだろう?
解決策について話し合うだけで、心の奥底に隠された敵意は、あてどもなくさまようままにしておくのでよいのだろうか?
こうした気づかれていない感情は、やがて表面に再浮上し、より大きな対立となって暴発することになる。
あなたはこの本を読んでいるので、私はあなたが人生における対立への答えを探し求めているのかもしれないと想像している。
私のアドバイスは、自ら率先して行えというものである。つまり、人を理解するためにできる限りのことをすべて行い、そしてあなたが理解されるようなやり方で話すことである。
もしあなたが正しく行っているのかどうか不確かであったとしても心配の必要はない。
あなたの実直な努力と誠実さは評価されることだろう。
あなたは人を変えることはできないし、彼らが、問題解決のためにあなたに近づいてくるのを待つこともできない。
もしあなたが対立の解決を望むのならば、対話を始めるのはあなたの責任である。
私の願いは、日々この本にあるスキルをあなたが実践し、あなたの人生に深い変化が起こるのを見ることである。
ここにあるページから現実の対立へと赴くことは、大きな跳躍のように思われるかもしれないが、今度は違ったやり方で物事を行うという誓いを立てなさい。
新しいアプローチを試しながら、自ら進んで失敗し、そして失敗から学びなさい。
この本の原則に従うことによって、あなたはあなたの人間関係を改善し、平和的に対立を解決することを学ぶことになる。
このアプローチは水の動きに似ている。つまり、あなたは最も抵抗の少ない方向へと進んでいくのである。
他者との違いを受け入れ、彼らを喜んで迎え入れることによって、あなたは信頼という雰囲気を醸し出し、一緒に作業するという意思を強化する。
あなたに盾つく人々に対していつも一貫したアプローチで接することによって、あなたはやがて十分な信頼を勝ち得、その結果、彼らは防衛を解き、自ら進んで心を開いて話すようになる。
人がその防衛を解くとき、創造性が花開き、複雑な問題の解決さえ可能にする。
もしあなたが誰かとの間に、時間やエネルギーやお金をつぎ込まねばならないような問題を抱えているならば、ここにある対立解決のためのスキルは重要である。
対立を解決するうえで、またより健全な人間関係をつくるうえで重要なポイントは以下のように要約できる。
- あなたと対立関係にある人の体面を保つようにしなさい。
- その人とあなた自身が、語られていない感情を明らかにするようにしなさい。このように心開くことによって、思いやりへと導かれる。
- 思いやりがつながりをつくり、人々をつなげることを理解しなさい。
- 人間関係にまとまりを作り出し、人々が過去の問題を脱却できるように、共通のビジョンや目標を持ちなさい。
状況に果敢に取り組んでいる間、特にこれらのポイントに注意を向け続けることによって、あなたは親密さへと移行する。
親密さは感情的ないさかいの最初の犠牲者である。
しかし、尊敬の念を持って人に接することによって、また彼らの尊厳を否定しないことによって、私たちは対立を、信頼と親密さを作り出すあるいは再構築する機会へと変換する。
あなたがかつて敵とみなした人もまた、信頼できる友人へと変わるかもしれない。
最後に、この本に書かれた原則を練習することによる重要な副次的効果について触れたい。
つまり、それは、あなたが自分自身のために立ちあがり、あなたの真実を声にすればするほど、あなたの自尊感情や自信がより高まることになるというものである。
あなたの声はあなたのパワーである。
あなたが心の奥底で本当に感じていることや、あなたの感情の背後にある理由を、人のせいにすることもなく、あるいは自分を犠牲者のように仕立てあげることもなく、表現しなさい。
あなたの感情を抑圧することはあなたからパワーを奪い、あなたのエネルギーを枯渇させてしまう。
あなたの気分を害した人に対して何も言わなかったときのことを振り返ってみなさい。
あなたは黙ったままでいたことに対し、自分を責めたのか? それとも、そのことを笑い飛ばしたのか?
誰かがあなたに対してひどい扱いをするのを許したとき、自分が小さく無力であるように感じたか?
あるいはその出来事に対し、どう違ったやり方で対処をすべきだったのかと考えて、無駄な時間を費やしたのか?
あなたの声はどこにあったのか? 最終的に、あなたはたぶん、自分に対してよい感じを持てなかったことだろう。
人間関係のための救急蘇生法はあなたの人間関係に違いをもたらすだけでなく、あなた自身にも違いをもたらすことになるだろう。
あなたが自分の声とパワーを取り戻すのを助けるために、本書は書かれているのである。