人間関係のための救急蘇生法 C P R -対立の予防と解決のための7つのステップ

人間関係のための救急蘇生法

-対立の予防と解決のための7つのステップ

Step 2 コアトレーニング

 対立している人と関われるようになるには、最初に少しトレーニングを受けておく必要がある。 簡単に見落とされてしまうような形にならないものすべてが、この章にある。 しかし、それらがなければ縛られた足でマラソンを走るようなもので、遠くに行くことはできないし、痛みのために途中退場となってしまうだろう。
 次に示すのは、人に近づき、対立を解決するための7つの重要な構成要素である。 すなわち、責任、尊敬、安全、信頼、心を開いたボディランゲージ、理解するために聴くこと、人の心を動かすように話すことである。 もし人間関係の修復や構築を望むならば、これらはすべて誠実さという傘で覆われていなければならない。 もしこのうちのひとつでも見失い、対立が激化するならば、この段階に戻って、なおざりにしてしまった技術を活用してみよう。

責任
 責任とは、人間関係を維持し、強化し、あるいは修復するために必要なステップを踏むことである。

 責任とは、課題によりよく反応する能力であり、対立を解決するうえで鍵となるものである。 恐れや怒りから反応するときには、人のニーズに対するいかなる責任も関心もそこにはない。 このようなときには、建設的な解決の可能性はほとんどない。なぜならそこでは反射的な感情が主導権を握っており、生存のための機制は元来自己中心的なものであるからである。
 よりよく反応するということは、武装解除し、対立している人を傷つけないということである。 もし自分自身が怒っていることや攻撃したり心を閉ざしたりしたいと思っていることに気づいたならば、 責任を取って、人間関係を強化することや他者を理解することに自分が心傾けていることを思い出さなければならない。 それは、心が落ち着くまで時間をとるとか、改めてもう一度集まるとかいったような簡単なことをすることかもしれない。
 また責任ある行動とは、対立の中でのあなたがとっている役割を正直にみつめてみることでもある。 その対立の一部に責任があるか? 言行一致していないのか? 約束した時間にいつも遅れるのか?  話し方が他の人を怒らせているのか? あるいは、他者をコントロールしたいと思っているのか?  自分の行為に対して責任を持ち、責任ある措置を講じるならば、対立が人生の中でたびたび起こるのを防ぐことになるだろう。
 私たちはしばしば、人が、責任をとって、こちらを怒らせるような行動を変えてくれるよう期待する。 受け身の姿勢になるのではなく、トラブルがあった後に、自分がどのように感じているかを言葉にして、困難な会話を先に始めることで責任を取る必要がある。
 作家であるゲイ・ヘンドリックスとキャスリン・ヘンドリックスは、責任について次のように述べている。 「行動について完全に責任を持つこと。それは、あなたが起こっていることすべての源であることを断言することでもある」。 続けて、「責任には、それを避けるためには多くの人が地の果てまで行きたいと思うほどに、大きな力がある」と。
 あなたが人生のなかでどんな場所にいようとも、それはあなたが、どのくらい自己責任を取ってきたかの直接的な結果であると言われてきた。 もし結果が喜べないものならば、責任をとるために可能なあらゆることをあなたはしてきたと言えるのだろうか?

尊敬
 尊敬とは、もし同意しないとしても、人の意見に耳を傾け、認め、理解することである。それは礼儀正しさ、親切心、配慮を示す行為である。

 尊敬という言葉の字義通りの定義は、異なる見方をするということである。 誰かに虐げられると、私たちは怒り、その状況を悪化させるようなやり方で反応してしまう。 そうする代わりに、湧き上がる感情を整理しながら、その人を違う見方で見ることは役に立つ。 尊敬することによって、その人をより深いレベルで理解できるようになり、なぜその人がそのような行動をとったのかを理解できるようになる。 その結果、思いやりを感じ、その人のニーズや感情が自分のものとは寸分たがわぬことに気づくかもしれない。 また自分も過去に同じように行動したことに気づくことで、思いやりを感じるかもしれない。
 尊敬、責任、コミットメント、愛といった言葉は、あまりに見境なく用いられるために、ほとんどその意味を失っている。 したがって、それらの本当の意味や、それらが行動の中でどのように現れるかを理解する必要がある。 あなたは誰かに尊敬を示していると思っているかもしれないが、人にはそのようには見えないかもしれない。 たとえば、ある人が最近行ったハワイでの休暇の話をしている途中で、あなたが話をさえぎって、あなたの似たようなハワイ旅行の話をしたとする。 その人はたぶん、話を中断させられて怒りを感じ、自分が尊重されていないように感じることだろう。 この状況で相手を尊重するためには、自分の話を差し挟まずに、その人に最後まで話をさせることが肝要である。
 怒りは、嘘をつかれたり、期待を裏切られたり、操作されているときにも感じるものである。 しかし怒りは、私たちにとってはっきりとしない2つのあり方で起こってくる。 つまり、1つは、騙されたり、面倒なことを押し付けられたり、強要されたり、無理やり何かをさせられたと感じるような選択の自由のなさである。 そしてもう1つは、聞いてもらえない、認めてもらえない、評価されない、見下されている、 好かれたり愛されたりしていると感じられないといったような、受け入れられていないと感じることである。 選択のなさの例は、最後通告を告げられるといったことである。 たとえば、「あなたが行動を変えるか、私たちの関係が終わるかどちらかだわ!」といわれることである。 受け入れられていないと感じることの例は、たとえば、同僚が職場外のイベントにあなたを誘わないといったことである。
 怒りを引き起こすもうひとつのよくある事柄は、否定的な行動である。 あなたが人の感情や考え、意見に耳を傾けないと、その人は自分には価値がない、自分は重要ではないと感じることになる。 この人が意見を言ったときに、「あなたは間違っている。私は絶対賛成しない」と言って否定する。 するとあなたは、その人の判断をけなしており、その人を大事にしていないということになる。 これは、あるゲストがもう一方のゲストに対して優位に立とうとする政治討論会ではよく見受けられる。
 一般的に、怒りの底に横たわっているのは、価値がないとか十分ではないと見なされることに対する悲しみや恐れの感情である。 怒りという表面にみえる感情が、その人がうろたえている根本的な理由を覆い隠している。 尊敬を示すためには、その人の怒りを超えて見つめ、隠された感情を探求する必要がある。
 もしあなたが人々に選択の余地を与え、心から耳を傾け、承認を示すことができるなら、あなたの人間関係はもっとストレスや対立が少ないものとなるだろう。 この尊敬を示すという能力は、安全の感覚をもたらすのである。

安全
 安全とは、評価や批判、あるいは罰せられる恐れから自由であると感じられるような場をつくることと定義される。

 人は脅かされない(評価されない、非難されない、批判されない、またはけなされないこと)と感じるときに、くつろいで防衛を解き始める。 そして、より深い考えや感情を分かち合うのに十分に安全であると感じ、違いを解消することに向かって歩み始めるかもしれない。 しかしながら、人間関係のなかで安全であると感じられなければ、いつ新たな対立が噴出するかわからないので、緊張し、防衛的になり、心を閉ざすことになるだろう。
 また安全の感覚は行動に一貫性があることで、育まれる(あるときはジキル、あるときはハイドといったふうではなく)。 起伏の激しい感情は、あなたの周囲の人をピリピリさせ、緊張した人間関係をもたらす。
 さらにいえば、安全感は心を傾けることコミットメントを通して育まれる。 たとえば、「近頃、私たちはきまずくなっているけれど、関係を改善したいと思っているんだ」という具合にである。 あなたの中にある混乱、疑い、曖昧さが、相手の恐れを増幅させてしまう。 結局、やると言ったことは、必ず最後までやり遂げることである。もし言ったことが実行されないならば、信頼や信用は失われてしまう。 安全の感覚なしでは、信頼を確立することは不可能なのである。

信頼
 信頼とは、人が人間関係を破綻させるのではなく、強固なものにするように行動することを信じることである。

 安全と尊敬は、最終的に信頼をもたらす。ある程度の信頼が必要であり、そうでなければ、人は心を開かないし、受け入れようとしない。 信頼はすぐには得られないし、敬意を欠き、不誠実であれば、瞬時に失われてしまう。その時、対立は急速に拡大する。
 『成功している人々の7つの習慣 The Seven habits of Highly Effective People(邦訳:7つの習慣)』の著者、ステファン・コーヴィーは、感情の預金口座について書いている。 あなたが正直で親切で、信用に値するならば、この感情の銀行に預金することができる。 あなたが一貫していればいるほど、信頼の蓄えは増し、ときに過ちを犯したとしてもそれは忘れ去られるだろう。 相手に対する敬意を欠き、言ったことを実行せず、過剰反応したり、無視したり、裏切ったり、あるいは脅かしたりすれば、感情の預金口座はすぐに借越しとなり、信頼は崩れてしまう。 他方、完璧な人間というものはいないので、もしたまたま預金を引き出すようなことになったとしても、そのときには心から謝罪することで責任をとることである。 こうした行為は、信頼を再び勝ち得る助けになる。
 約束を破るならば、信頼を失うことになる。 したがって、もし約束を守ることができないときには、たとえば、プロジェクトの期日を延ばすことができるかなど尋ねることで、再交渉することが最良の策である。 しかし、約束をし直すことは、あなたの信用を損なうので、習慣化しないことを心に留めておくべきである。

心を開いたボディランゲージ
 心を開いたボディランゲージとは、人に誠実さを伝えるために非言語的コミュニケーションを使うことである。

 あなたは、この本で述べられているすべてのスキルやツールを的確かつ巧みに使いこなすことができることだろう。 にもかかわらず、もし人を理解することについて本気でないならば、正しい解決をすることに失敗するだろう。 ボディランゲージはあなたの誠実さを表現するか、さもなければそれが欠けていることをさらけだす。 腕を組んで遠くを見つめながら妻に「愛している」と言う夫の例を考えてみよう。 彼の閉じられた身体とどんよりした目をみれば、彼の言葉は意味を失ってしまう。 人間関係のための救急蘇生法 C P R は、レシピに従うことではなく、ウィンウィンの結果に到達することを目指すものである。 もっと正確に言うならば、親密なつながりを作り出すことに関するものである。
 非言語的コミュニケーションは、対立がエスカレートするか、そうでないかを決定するうえで最も重要な側面の1つである。 人は、あなたが誠実かどうかを、無意識的にあなたの身体の動きを通して感じとる。 言葉でははっきり言っているのに、その人のボディランゲージが明らかに違うことを表現しているとき、私たちは何か違うと直観的に感じとる。
 対立が起こっている状況では、聞き手の否定的なボディランゲージが、話し手にその人は聞いてないし真剣に受け取っていないことを伝えてしまう。 そうした関係の中では、話し手は尊重されてないと感じ、安心も感じることもないので、 怒りを募らせてしまう。ぼんやりとした目つきのようなはっきりしない表情もまた、対立を激化させてしまう。 したがって、聞いているときには、無反応にそこにいないようにした方がよい。 その人が言っていることは何でも関心を持っているということを示しなさい。
 『非言語の優位 The Nonverbal Advantage』という本の中で、著者のキャロル・キンゼイ・ゴーマンは、人々のコミュニケーションに関するUCLAの研究を引用している。 その中で、アルバート・メラビアン博士は、メッセージ全体の影響は、7%が言葉、38%が声の調子、55%が表情や手の動きや姿勢によるものであることを見出した。 行為が言葉よりも雄弁であることは、真実であるように思える。 思考と言葉が一致しているとき、すなわち人が自分の言っていることを信じているときには、人はその人のボディランゲージで裏付けられているものを見ることになるとゴーマンは述べている。
 話を聴いたり、コミュニケーションをしたりしているときに、自分自身のボディランゲージに気づいていることが、 非常に重要である。もし座っているならば、特に相手が自分の弱く個人的な面を見せているならば、その人に向かってちょっと前かがみになりなさい。 時々軽くうなずくことによって、確実に聴き理解しているというサインを示しなさい。 そして姿勢を開いておきなさい(腕や足を組んだりせずに)。もし立っているならば、攻撃的な姿勢を暗示するような、手を腰に置くような姿勢はやめなさい。 手をポケットに入れるのをやめなさい。用心深い人や嘘つきな人は、腕や手のジェスチャーが少ないことが明らかにされている。 また呆れた表情とか、薄ら笑いや、しかめっ面、冷淡なまなざしといった侮辱的な顔つきをしないようにしなさい。
 目は、すべてを語る。すなわち、その人が心から穏やかにいこうとしているか、それとも脅かそうとしているか、といったすべてをである。 穏やかなアイコンタクトを保つことは、コミュニケーションをとるとき、特に聴くときには不可欠である。 鋭い凝視ではなく柔らかなまなざしをすることは、どんな言葉よりも人を落ち着かせる。目の周りの筋肉をリラックスさせ、眉を寄せるのをやめなさい。 一貫したアイコンタクトがないと、気持ちをむけていないというメッセージを送ることになる。 一方、鋭い凝視は、人を支配する必要性があることを伝えてしまう。 したがって、開かれたボディランゲージを通して、あなたは危害を加えるためにそこにいるのではないことを相手に伝えなさい。 単純に、人に認められ、安全であると感じさせるような威圧的でないジェスチャーは、もっとも危険な状況を鎮めるのにも役立つ。
 私の教え子であるティナは、上司が彼女を見下すように話す時に、いつもどんなに怒りを感じるか話してくれた。 ティナは胸の前で腕を組み、上司を拒絶的に見つめることで、戦闘的な姿勢を取っていたのだろう。このことはしばしば、上司を防衛的にさせていた。 その数週間後、ティナは彼女自身の防衛を解き、上司に対して非言語的に自分自身を開いた。 すなわち、身体を相手に対して開き、誠実なまなざしで、穏やかなアイコンタクトをとった。 それはこの会合のほんの一部であったのだが。ティナ自身とても驚いたことには、上司は引き下がり、2人は普通の会話を進めることができたのである。

<気づきのエクササイズ #2>

 これから数日間、あなた自身のボディランゲージを観察しなさい。 あなたは基本的に人に対して自分の身体を開いて関わっているのか、それとも閉じて関わっているのか?  人々と穏やかなアイコンタクトを取っているのか? それとも人をにらみつける傾向があるのか?  アイコンタクトを避けているのか? 挑戦的な状況にあるときに、否定的な表情をしたり、防衛的な姿勢をとっているのか?  自分の行為に気づくようになったら、それらが、自分が関わっている人々にどのように影響を及ぼしているのかを見なさい。 あなたの行動は人をあなたに近づけるものか? それとも彼らを遠ざけるものなのか?  もし人を寄せ付けないあなた自身を発見したら、自分自身を開くようにして、どんなことが起きるかを見なさい。
 誰かの話を聞いているときに、相手のボディランゲージを観察しなさい。 その人が非言語的なコミュニケーションを通して表現している感情は、何であるのか?  言語的には感じていることについて述べていないかもしれないが、ボディランゲージはその内容を伝えているかもしれない。 つまり、沈黙や閉じられた身体は、傷つき怒っているというシグナルであり、眉間の皺は、ストレスを感じていることを示しているのかもしれない。 遠くを見つめるようなまなざしは、何かに向き合うことを恐れて避けているのかもしれない。 かすかな(、またはそんなにかすかでない場合もあるが)ジェスチャーに気づくことは、対立の火種になり、それを激化させるより深刻な問題を後になって見出すことに役立つだろう。

<気づきのエクササイズ #3>

 数日間、人々を観察して、そのボディランゲージに注目しなさい。 あなたが考えていることを伝えずに、彼らが世界に対してどんなコミュニケーションをしているのか、自分のなかで問うてみなさい。 たとえば、「私は犠牲者だ」、「私は落ち込んでいる」、「私はすべての人に対して怒りを感じている」、 「私は孤立した存在だ。近寄るな」、「私は幸せだ」、「私はワクワクしている」などである。 このエクササイズは、人のボディランゲージがどのようにあなたに影響しているかを簡単に示してくれるものである。 このエクササイズのステップを積み重ね、あなたがもっと他の人の声にならないメッセージに気づくようになったところで、 その人のそばにいることで自分がどのように感じるかをみてみなさい。 あなたは緊張して居心地が悪いのか? 不安で脅えているのか? リラックスしていてくつろいでいるのか?
 自分が話しているときに、聞き手がどのように反応しているかについても注意を払いなさい。 その人のボディランゲージは、沈黙のうちに次のようなことを伝えているのか? 「私はもう十分聞いたので、この場を立ち去りたい」、 「私は自分が今聞いていることが気に入らないし、怒り出しそうだ」、あるいは「私はあなたが言っていることに賛成だ。もっと話してほしい」といった具合に。

理解するために聴く
 理解するために聴くこととは、話し手の意見を理解するために、その人に注目しその人を受け入れるような行動である。

 注意深く聴くことは、効果的なコミュニケーションの必要条件であるが、習得するのが難しい技術かもしれない。 人は、非常にしばしば、殊に対立しているときには、たとえ同意していないとしても尊敬を示したり耳を傾けたりするよりもむしろ、 言葉を遮ったり、自分の言い分を話したり、あるいは言い訳したり、否定したりするものである。
 人は、もし必要ならば、退けられたり、からかわれたり、口論をふっかけられたりすることなく、ただ単に聞いてほしかったり、感情を発散させる場がほしかったりするだけなのである。 もし聞いてもらえないならば、感情を湧き上がらせながら、自分が取るに足りないもの、大切でないものと感じるのである。 たとえあなたが同意できなかったとしても、話し手にスポットライトを当て、十分注意を向けなさい。
 以下は、話を聴くときに念頭に置いておくと役に立つ質問である。自分自身に次のことを問うてみなさい。

 もしあなたが怒っている人に対しているのなら、ここに挙げたことは、誰かの怒りを受け止める際に考慮するポイントである。

 何よりもまず、相手の感情や感じていることに焦点を当てなさい。 「問題」が真に問題であることはまれであり、それよりもむしろ対立に火をつけているのは、悲しみや恐れの感情なのである。 もし感情に対応すれば、聞いてもらいたいというニーズは満たされ、口論を解決するために歩みだすことができる。 しかしもし感情が無視されるならば、どのような解決策を試みても、おそらくまた認められない感情に逆戻りしてしまうことだろう。 その人は自分の感情に執着し続け、それを超えて歩みだすことは不可能であろう。

 たとえば、「内緒でジェーンと話をしたので、とても怒っているんだね。どうやら信頼の問題が生じているようだね。」といった具合にである。

 これは小さな子どもが、母親のズボンを引っ張って、母親からの注意を引こうとすることに似ている。 もし母親が子どもを無視すれば、子どもは母親からの反応を得ようとしてもっと強く引っ張り続ける。 しかし母親が子どもを認めれば、子どもは満足して、離れていき遊ぶだろう。 このようにひとたび感情が認められれば、激しいエネルギーは消え失せ、人は受け身的な行動から能動的な行動へと移行することができる。
 私たちは感情的な存在であり、必ずしも理性的な存在ではない。これは、なぜ人が困難で挑戦的な状況に直面したとき、さまざまに反応するのかを説明している。 それは、ある経験に対して感情的に過剰反応することから、自分の心を閉ざしてしまうことまである。 感情には、論理的で理性的な考えを圧倒しそれを覆してしまうような傾向がある。 そのため、人が落ち着いて自分の内面を見つめることができるようになるためにはまず、感情的なエネルギーが放出されなければならない。 自分が感じていることを十分に表現するよう促され、そしてその感情が認められ、現実のものとして受け止められたとき、このことは成し遂げられる。

<人が落ち着いて自分の内面を見つめることができるようになるためにはまず、感情的なエネルギーが放出されなければならない。>

 実際、論理は、対立の健全な解決を妨害する。 一例として中東紛争の場合をみてみると、イスラエル人とパレスチナ人の両者が、なぜその土地が自分たちのものであるのかを説明する論理的な理由を持っている。 にもかかわらず、対立は、果てしないものとしてその勢いを増している。 どんなにたくさんの論理的な説明や討論や口論をしても、人々を近づけることはできない。 なぜなら、もっとも重要なことが見失われているからである-それはつまり、人間的なつながりである。 見てもらい、聞いてもらい、理解してもらいたい欲求である。しかし、人は感情を認められたとき、耳を傾け、行動し、変化するよう動機づけられる。 論理や理性だけでは、人々が健全で公平な解決へと向かうことはめったにない。

<人は感情を認められたとき、耳を傾け、行動し、変化するよう動機づけられる。>

聴くことのスキル
 次に述べるスキルは、話し手の見方を理解し、相手が聴いてもらい理解してもらっていると感じるようになるうえで役立つであろう。

人の心を動かすように話す
 人の心を動かすように話すとは、聞き手を引き込むような話し方をすることである。そのことによって、あなたはより聞いてもらい、理解されることだろう。

 あなたが話すときはいつでも、人に影響を与えている。 言葉や話し方は、あなたが話していることに対して人の心を開かせることもできるし、閉ざすこともできる。 あなたは人を惹きつけるように話しているのか、それとも遠ざけるように話しているのか? もしもあなたのコミュニケーションがいつも対立を生じさせるとしたら、人に心を開かせて会話に誘い込むような話し方を身に付けることは重要である。
 あなたが対立に巻き込まれているとき、あなたと相手が互いの窮地を理解するよう、両者が近づくような方法で話しなさい。 こうした心からの会話は、人間関係を改善しあるいは強化するための始まりとなる。 効果的なコミュニケーションとは繊細な技術ではあるが、練習によって習得することができるものである。
 感情、感情、感情-、人の心を動かすような話し方は、人間関係のためのCPRの核心部分である。それは感情的にありのままになることである。 あなたの議論の余地のない真実-怒りだったり、悲しみだったり、恐れだったり、またその理由を、人を非難したり攻撃したり罪悪感を抱かせることをせずに、 声にすることによって、感情的にありのままになることである。 これは聞いている人を惹きつけるだけでなく、とりわけあなたがオープンに自分の怒りの底に横たわっている悲しみや恐れの理由を分かち合うとき、聞き手のうちに思いやりを引き起こす。
 しかしながら、自分がどのように感じているのかを述べるとき、人はしばしば、自分の感情状態と自分がどのように扱われているかを混同してしまう。

 たとえば、「あなたが定期的に電話してくれないから、私はあなたが支えてくれていると感じられないのよ。」といった具合にである。

 支えられていないということは感情ではなく、むしろ、自分に向けられたと思っている行為なのである。 この述べ方にもまた議論の余地がある。支えていないと責められている人は、いつも友だちが危機にあるときにはその友だちのためにそこにいたと言って応答するかもしれないのである。
 感じていることを話すときに、焦点を当てるべき2つの領域がある。1つ目は、窮屈さ、重だるさ、軽さ、鈍感さ、痛みといったような身体的な感覚である。 2つ目は、感情的な感覚であり、それは、怒り、悲しみ、恐れ、喜びという4つの基本的な感情に還元することができる。 人を非難したり決めつけたりすることなしに、これらの感情を声に出して言うことは、議論の余地のない真実を話すことを可能にする。 あなたが「とても悲しいの。 なぜって私たちの心が離れているので、重苦しく感じるから」というとき、聞いている人が「いいえ、あなたはそんなことはない」と言ってあなたと議論することは恐らくないだろう。
 怒り、悲しみ、恐れ、おそらく喜びでさえ、それらを表現することは、多くの人にとって、なじみがなくおじけづくようなことだろう。 子どもの頃、私たちは、感情を表すことは弱さのしるしであると言われたり、怒りを声にすることを禁じられたりした。 感情を表わすことは悪いことであるというのが一般的な信念である。 しかし、もし感情が言語化されなければ、怒りや悲しみや恐れは私たちの中でくすぶり続けるだろう。 一方、感情に声を与えたときに、その特定の感情はその呪縛を解き放ち、消え失せることだろう。
 これらの基本的な4つの感情に焦点を当てることで、あなたが本当に感じていることを探り当て、表現することが容易になる。 困惑のような他の感情は、あなたが本当に感じていることの核心を説明してくれない。 困惑の背後にあるものは、よく見てもらえないという恐れであり、つまりはありのままの自分を受け入れてもらえないという恐れである。 実際、多くの他の感情の背後にある真実は、悲しみと恐れと怒りの組み合わせである。
 感情を表現するときに、「私はとても悲しい・・・」「気が重い・・・」といったようなメッセージを伝えたとしても、「感じる」という言葉は、省略される可能性がある。
 対立している人とつながるためには、その人があなたと関わることが必要である。 これは、あなたができる限りオープンにならなければならないことを意味している。 このオープンさは、自分の感情をつまびらかにし、人間的な面を見せることによって達成される。 あなたが怒りを表現するならば、やがて相手があなたと関わるようにすることができるのである。

あなたが感じていること、つまり、怒り、悲しみ、恐れから始めなさい。
「私は今怒っているんだ。」
あるいは
「私は一日中悲しかったんだ。」
あるいは
「私はあなたにこのことを言うのが怖い。」

 もしあなたが怒っているなら、悲しみやまたは恐れが怒りの源になっていることを思い出しなさい。 怒りの底にあるより深い感情をどのように表現するかについては、後で述べることにしよう。
 次に、あなたがなぜその感情を感じているのかについて話しなさい。 あなたが悲しみや怒りの背後にある理由を分かち合うなら、それは、あなたが人間であり、脅かす存在ではないことを相手に伝えることを可能にする。 あなたが怒りをその理由とともに述べれば、人との間に境界線を設定することになる。

「私は一日中悲しかった。今朝、口論してから私たちの間に距離を感じているから。」
あるいは
「私はあなたにこのことを話すのが怖い。なぜって、あなたがわたしのことをもう考えてくれなくなるのではと心配だから。」
あるいは
「僕は怒っているんだ。今朝の上司とのミーティングについて知らされなかったから。」

 そして、この状況の結果としてあなたが必要としていることで締めくくりなさい。
「私は怒りを感じている。なぜなら・・・。私が必要としているのは、上司とのミーティングに変更があるときには、知らされることなんだ。」
あるいは
「私は一日中悲しかった。なぜなら・・・。私が必要としているのは、私たちの困難を一緒に乗り越えるための安心できる言葉なのよ。」
あるいは
「私はこのことをあなたに話すことが怖い。なぜなら・・・。私が必要としているのは、ミスをしても大丈夫だという言葉を聞くことなんです。」

 これらは、あなたの基本的な感情を取り扱う例であり、このスキルは対立解決の中心にあるものである。 それぞれの例が明快で要領を得たものであることに注意しなさい。 聞き手は、あなたがなぜそのようになっているかを理解するのに、何の問題もないはずである。 この本ではさらに、怒りという表面的な感情をはぎとり、悲しみや恐れといったより深い感情を明らかにすることで、さらに深い方法であなた自身を声に出して表現する方法について学ぶことなる。
 『非暴力的なコミュニケーション Nonviolent Communication』の著者であるマーシャル・ローゼンバーグは、 引き金となる感情の根っこにあるのは、満たされていないニーズであると述べている。 自分が人を決めつけたり、批判したり、悪く言ったりしているのに気づくとき、それは自分の中に満たされていないニーズがあるためである。 「あなたは友だちと出かけるのにばかりお金を使っているわね!あなたは私とよりも彼らと時間を過ごしたいようだわ。」と誰かが言ったとする。 この人が本当に言いたいことは、自分の怒りの下には悲しみがあるということである。 なぜなら彼女は、自分の大切な人とつながりたいというニーズを持っているからである。 したがって、このことを伝えるもっとよい方法は、「私はあなたがいなくて寂しいし、最近あまり一緒に過ごすことがなくて悲しいの。 だから私はあなたとだけ時間を過ごす必要があるの。」と言うことだろう。 付録Cの「12の本質的な関係ニーズ」を参照しなさい。

 ローゼンバーグは、私たちが自分の感情をもっと直接的に自分のニーズにつなげることができるようになればなるほど、 人にとってはその分、こちらの言うことに耳を傾け、思いやりを持つことが容易になるだろうと述べている。 もし、妻が「あなたがあのふしだらな隣人とイチャイチャしているのを見つけたわ。知らないとは言わないで!」といったとき、 話し手が伝えている満たされないニーズとは、安心したい、自分たちの関係を確かなものとしたい、 できれば自分の夫から同じような注目を受けたい、という彼女の願望なのである。 もし彼女が言い直すとしたら、次のように言うことだろう。

 「私は怒っているの。なぜって、あなたが新しい隣人と親しそうに話しているのを見たからなの。 だけど本当のことを言えば、私は怖くなったの。 なぜってあなたはあの魅力的な女性と話していて、それは私があなたにとって十分ではないんじゃないかという不安感を引き起こしたからなの。 私はあんなふうに注目されなくて寂しいし、私にもそんな注目が必要なのよ。」

 ここには、いかなる非難も含まれていないので、夫は前のときよりも、もっと耳を傾け、肯定的に応じるに違いない。 そして、夫は、不安感という人間にとって普遍的な性質に共感を抱くかもしれない。 彼女が「私はあなたが・・・していることに嫉妬している」とは言わなかったことに注意を払いなさい。 嫉妬は、彼女が本当に経験していることの根っこに到達することのない込み入った感情である。 夫の注目が他の女性に向かったために、夫に受け入れられていないという無意識的な恐れが生まれ、怒りという仮面をかぶせられたのである。
 私たちが意識的に避けるべき他の防衛的な反応がある。 それは、私たちの感情がしばしば、遠い過去の未解決の痛みによって引き起こされているということを理解しないで、自分の感情の責任を人に覆いかぶせることである。

 たとえば、「僕は君がいつも遅刻するんで怒っているんだ。君はいつも僕を待たせるんだから!」

 この人は、友人から尊重されていず、軽んじられていると思っている。 しかしこの怒りの根底には、自分が友人の生活の中で大して重要ではないんだという思いがある。 この重要ではないという認識が無意識的に引き起こされ、彼の防衛を引き起こす。 この人が自分の感情をコントロールして違ったふうに言うことによって、彼は自分自身を元気づけることができる。

 たとえば、「僕は怒っているんだ。なぜって1時間も待ち続けているんだからね。僕にとって時間は貴重なんだよ。 友人として大切にされていると思えないから、僕の怒りの下には実は悲しみがあるんだ。 なぜって、友人として大切にされていると思えないからさ。 このことは僕自身の問題で、僕たちの友情とは何の関係もないことはわかっているんだ。 とは言っても、もし君が遅れる場合は、電話してほしいんだ。」

 この人は今度は、自分にとっての真実を述べ、これは自分の問題であると述べ、 そして友人との間に境界線を引くことによって、自分の感情に対して責任を持ち、自分自身を大切にしている。 あなたは仕事上の、あるいは普段の人間関係の中ではこれほど率直に話すことはないかもしれないが、 実はそうすることによって、人はあなたに対して思いやりを持ったまなざしを向けることになるのである。
 感情はコントロールできない(多くの人がそれを押さえつけようとしているが)。 しかしあなたがそれを表現し、あなたのニーズのうちどれが満たされていないかを言うことによって、あなたは責任を引き受けることができる。 こうした真実を常に人と分かち合うことによって、あなたはやがて反射的に応答することはなくなり、違ったふうに反応することを選ぶことができるようになるだろう。
 最終的に、感情やニーズを伝えることは、あなたの弱さや人間らしさを人にみせることになるので、他の人々があなたとつながることを可能にする。 しかし、あなたが見捨てられている、無視されている、みくびられている、がっかりさせられていると言うように、 ただその状況をどう見ているかを述べるだけでは、人の心のより深いレベルに到達することはないであろうし、聞き手の中に抵抗感を引き起こしてしまうことになる。
 ほとんどの人は、人を故意に傷つけたいと思ってはいない。 したがって、脅威と感じないやり方で、自分の行為の結果がどうなるのかを耳にするならば、人は穏やかになり、自分のしたことに対する責任を引き受けることになるだろう。
 あなたが対立を解決するために誰かに近づくとき、会話をもつ適切なタイミングかどうか確かめるべきである。 言葉の選択や、言葉を伝えるうえでの声の調子や強さに注意を払いなさい。 もしあなたが攻撃的あるいは非難するような言葉やボディランゲージを使うならば、人はたぶん防衛的になるかあるいは心を閉ざしてしまうことだろう。

タイミング-これはこの人に近づくための適切なタイミングであるか?  あるいは、この人は他のことで心が塞がれているのか?  ときには、理想的なタイミングではないのだが、他に選択の余地がないときがある。 しかし、もしそれが話をするのに本当にタイミングが悪く、かつ待つことが可能なら、後日約束をすることのがよい。

適切な言葉の選択-ドアを閉めるよりもむしろ開くように言葉を使いなさい。 「あなた」を文章の中で慎重に使いなさい。 それは、自分が判断され攻撃されていると人に思わせ、防衛的にするからである。 「あなたはいつも遅れる」、「あなたの態度は、ビジネスに悪影響を与えるような悪い態度だ」、「あなたは神経質すぎる、もっと楽に構える必要がある」等である。
 その代わりに、「私」で始まる文章を用いなさい。そして議論の余地のない真実から話し始めなさい。 すなわち、あなたの感情や、その行為があなたに与えた影響を伝えなさい。 「私」で始まる文章を使うことで、非難的で批判的であることを避けることができる。

 たとえば、「僕は怒っているんだ。なぜって、僕の意見を聞いてもらえないからさ。」

 この言い方にはいかなる非難もない。 その目的は単にあなたの感情を表現することであり、咎めようとしているわけではない。

 「そんなことするなんて馬鹿げてる」といった非難めいた言い方や、「怠けている」「不注意だ」「無能だ」といったように非難的あるいは批判的ととられかねない言葉を避けなさい。

 たとえば、「私は従業員が怠けているのを見て怒っている」というよりも、人に責任を負わせない言い方に換えてみる。 つまり、「私は従業員が彼らの能力を発揮できていないのを見て怒りを感じる。 会社がもっと利益を得るよう、彼らが仕事に力を入れられるようにする必要がある」と言う方がよい。

声の調子と強さ-ボディランゲージが、誠実さあるいは誠実さの欠如を表すように、声もまた誠実さを伝えたり伝えなかったりする。 耳障りで強烈な話し方は、聞き手を圧倒し、不快な思いにさせるし、大げさな話は不誠実であるというメッセージを送るかもしれない。 抑圧された怒りを曝露するような、とげとげした辛辣な声の調子に気をつけなさい。 怒りを表現しているときに、声にある程度の強さがあることはよいが、非難や判断を交えずにあなた自身を表現しなさい。 もしあなたが集中できないなら、もっと冷静になれる別の機会にその問題について話し合うべきである。 怒りを表現することについては、付録Bで詳細に述べられる。

 たとえば、「私は今めちゃくちゃ腹を立てているんだ! 私には冷静になる時間が必要だ。 そのあとで、この問題について話し合いたいんだ。」

 あなたの声のピッチ(速い/遅いの変化)と、話す速さにも注意を払いなさい。 ピッチを変えることは、単調な話し方をすることと真逆のことである。 しかしながら、速すぎたり、あるいは陳述の最後でピッチを上げるような話し方は、優柔不断さや信念のなさを伝える。 話す速さについては、速すぎる話は、聞き手に過去の何かをごまかそうとしているかのような印象を与えるかもしれない。 さらにいえば、速く話すことで明確さがなくなり、聞き手を混乱させるかもしれない。 ゆっくり過ぎる話は、聞き手をうんざりさせ、聞き手は耳を貸さなくなるかもしれない。

直接的で簡潔で明確なコミュニケーション-明確なメッセージを持つようにしなさい。 回りくどい言い方をしたり、聞き手が耳を貸さなくなるような長い話をしないようにしなさい。 疑念を振り払うように明確に話しなさい、そして人があなたが言ったことを解読しなければならないような事態は避けなければならない。 第三者に、今起こっている対立について話さないようにしなさい。 なぜならその人は、あなたが彼の背後にいる人と同盟を築こうとしていると思ってしまうだろうから。 すべてのコミュニケーションはあなたが現に対立している人とじかにするようにしなさい。 対立は、私たちが本当に言いたいことを言わないときによく起こる。 たとえば、多くの人々は誰かの感情を傷つけたり、仕返しを恐れたりするために、「ノー」と言うことを躊躇する。 ある依頼に対して、本当は「ノー」と言いたかったのに「イエス」と言うことで、私たちはその人に対して腹立だしく感じるようになる。
 また、あなたがどのように感じているかに修正を加えたり、それをトーンダウンさせたりしてはいけない。 もしあなたがとても怒っているなら、「私はちょっと怒っている」とか「私はイライラしている」とか言ってそれを縮小させたりしないで、そのまま言いなさい。 感情を表現することを避けるための他のやり方として、笑いながら「私は怒っている、なぜなら・・・」のような言い方をすることがある。 自分ひとりで何かに立ち向かうときに神経質になることは、理解可能なことである。しかしこれは聞き手に複雑なメッセージを送ってしまい、相手を混乱させてしまう。 「いったい、この人は怒っているのか、そうでないのか?」といった具合にである。 これらの行動は双方とも、あなたが本当にどのように感じているかを隠してしまうので、あなたから力を奪ってしまう。

すること、してはいけないこと
 以下に述べることは、あなたが自分の伝えたいことに焦点を当て続けるのを助け、その結果、あなたは聞き手に耳を傾けてもらい、理解してもらうことができるようになる。

 たとえば、「私は昇進の対象にならなかったので、今怒っているんだ。 だけど心の底では悲しいと思っている。なぜって、私は職場で過小評価されていると思うから。」

<気づきのエクササイズ #4>

 多くの人は、人の欠点や行動パターンに気づくことは簡単にできるが、かたや自分自身のパターンを見出そうとするときには、進んでそうしようとはしない。 このエクササイズは、立場を逆転させて、あなたが人とコミュニケーションするやり方をあなた自身で観察するものである。
 これから数日間、あなたの言葉の選択の仕方と話し方に注意を払いなさい。 あなたの言葉は、非難、批判、決めつけ、またはよくある否定的な言葉に満ち溢れているだろうか? またあなたの声のトーンや話し方の強さに注意を払いなさい。 人が理解するのが難しいくらいささやくような小さな声で、あなたは話しているのか?  それとも、あなたは必要以上に大きな声で話すような攻撃的な話し手なのだろうか?  最後に、あなたのコミュニケーションが直接的で、明快で、要領を得たものであるか観察しなさい。 あなたは聞き手を混乱させるような仕方で話しているのか?
 あなたが自分がどのようにコミュニケーションしているのか気づくようになったら、あなたの話し方が人にどのように影響しているのか、自分自身に尋ねてみなさい。 それは、人々を打ち解けさせ、会話に招き入れるようにするものか?  それは、人々があなたと関わりたいと思うようにさせるものなのか?  それともそれは、あなたが日常的に関わっている人々をうんざりさせたり、イライラさせたり、怒らせたりするものなのか?

コミュニケーションスキル
 以下は、人の心を動かすように話すための繊細なスキルをまとめたものである。

結びつけるもの
 このステップの冒頭で述べたように、あなたの誠実さがそこになければならない。 そうでなければ、人は、あなたのつながりたいという気持ちは本物なのかと疑問に思うことだろう。 誠実さは和解の願いを伝え、誰かを悪者にすることなく理解へと導く。 それは人々の注意をつなぎ留め、その結果、あなたは、このセクションで述べられた人間関係の持続/修復のための7つの本質的要素を実行することができるようになる。 誠実さは、不可知の要因であり、教えたり、本のページから引っ張ってきたりすることはできないものである。 誠実さは、あなたがオープンで正直である時に伝わるものであり、自分自身を防衛したりあるいは守ろうとしてはならない。 あなたが謙虚であるとき、人はやがて耳を傾け、心を開き始める。

「コアトレーニング」の要点
 以下の7つのスキルは、親密な関係を作り出し、人間関係を発展させるとき、互いに関係し合っているものである。 もしこれらのスキルのどれか1つでも欠ければ、あなたは人間関係において人とは結びつくのに苦労することだろう。

 これらのスキルは、習得するのに時間がかかり、努力も必要だろう。 しかし人と関わることを止めてはいけない。 ステップ3「対立をチャンスに変える」では、あなたがこれまでに学んだことをすべて行動に移してみることになる。

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